■「この人に逢いたい」プロジェクト第一回

林泰義氏(千葉大学客員教授、計画技術研究所代表、玉川まちづくりハウス)
2001年5月20日(日) 林邸にて 

                                                            ☆報告:三矢勝司

前編(週刊まちづくり112号掲載)
20代的まちづくり人の集い「ちょいまち!!」が、密かに活動を再開した。
集まっているメンバーのつながりを活用して、自分たちが「逢いたい」と思う人物に逢う事を実現する企画、その名もずばり「この人に逢いたい」。

記念すべき第1回の「逢いたい人」は「林泰義」さんとなった。

林さんは、現在、計画技術研究所(KGK)の代表取締役、玉川まちづくりハウスの副運営委員長他、千葉大学の客員教授でもある。林さんの次の時代を読むセンスに引かれて、13人の有志が、世田谷区は玉川田園調布にある、林さんのお宅に参集した。

2001年5月20日(日)午後3時から始まったこの企画は、本来的には「林さんの20代」を聞くことに趣旨があったが、結果的に「起業・どうやって食っていくか」に関する議論に集中した。

時は、1960年代中期。学園闘争が華々しい時代に、林さんは名古屋市の都市基本計画に関して研究室(東大高山研)として取り組んでいた。当時、担当するメンバーで都市計画部長室に出入りしながら、半分東京、半分名古屋という生活だったという。

テレビでも有名な東大の安田講堂に火炎瓶が投げかけられていた時代である。

東大において、都市デザインの丹下研と、都市計画の高山研が、「研究室と起業」という意味で、同じような揺らぎ・変化を遂げようとしていた。

研究室と社会との関係でみれば、東大の丹下研は、研究室を事務所として使っており、磯崎新、黒川紀章を始めとする草々たるメンバーが所属していた。時代が下れば土井、大村(冒険遊びで有名)も、丹下研の門下生である。

一方で、学園闘争の流れの中で、学内で民間企業的活動としてみなされ大学に居づらい状況となり、民営化された部分もあった。

こうした状況と時を同じくして1969年、林泰義は研究室の仲間たちと共に計画技術研究所を起業する。30代前半の頃である。当時、都市計画の世界は、土木系で占められていた。区画整理でもない「計画」の分野を起業したのは、画期的出来事と言えよう。

しかし、現実は厳しく、手に入れたプロジェクトも予算は30万〜50万(月給5,6万の時代なので現在の貨幣価値にしておよそ200万〜300万)であった。
およそ、大学の研究室に相談が来た仕事を回してもらうのが主流で、給料のめ
ども無く、入ってきたお金を山分けするような状況だったという。

この頃(70年代中期)、自治省が計画行政への指針を提起し始め、自治体に都市計画において「基本構想」を定めるよう指示、この業務が民間の都市計画コンサルの仕事となってきた。(つづく)

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三矢です。「この人に逢いたい企画」の<林泰義氏編>に関して、林さんご本人から、指摘がきましたので、ご紹介。
といいますか、僕の起こしたノートにミスがあったのですね、、、。
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  今日は!!林 泰 義です。
  さっそく「まちコラム」に登場させていただきありがとうございました。
  中味を結構たのしませてもらいました。ところで、ちょこちょこ、歴
  史の事実と違っているところが発生してしまいましたので、以下に訂
  正をさせていただきます。
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 ■指摘1
  時は、1960年代中期。学園闘争が華々しい時代に、林さんは名古屋市
  の都市基本計画に関して研究室(東大高山研)として取り組んでいた。
 >林さん指摘
  高山研は建築学科時代で名古屋の調査時代は東大日笠研でした。
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 ■指摘2
  テレビでも有名な東大の安田講堂に火炎瓶が投げかけられていた時代
  である。
 >林さん指摘
  うーん!安田講堂に立てこもった全共闘勇士に機動隊が火炎瓶を投げ
  たという意外な事件があったとは!!
 >三矢コメント
  失礼いたしました!そうですね。学生が安田講堂から投げているに決
  まってますよね。
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 ■ 指摘3
  研究室と社会との関係でみれば、東大の丹下研は、研究室を事務所と
  して使っており、磯崎新、黒川記章、を始めとする草々たるメンバー
  が所属していた。時代が下れば土井、大村(冒険遊びで有名)も、丹
  下研の門下生である。
 >林さん指摘
  土井、大村両氏は高山研ですね。どうも僕の話が荒っぽかったよう
  で・・ごめんなさい。
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 ■指摘4
  この頃(70年代中期)、自治省が計画行政への指針を提起し始め、自
  治体に都市計画において「基本構想」を定めるよう指示、この業務が
  民間の都市計画コンサルの仕事となってきた。
 >林さん指摘
  自治体の基本構想は、自治法の改正により法律で義務づけたのですね。
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 というわけでした。
 読者の皆さん失礼いたしました。
 林さん、ありがとうございました。

中編(週刊まちづくり113号掲載)

先までの話まで来て、ちょっと小休止。ようやく参加者の自己紹介を行った。

それぞれ設計事務所、コンサル、大学研究室、他の所属や林さんとの関係が明かされた。
当日は、林さんと玉川まちづくりハウスを立ち上げた伊藤雅春氏も現れ、24歳の時に東京に来たこと、また「ゼミナール80」なる、月に1回講師を呼んで話を聞く勉強会を、6年近く行っていた事を紹介。「この人に逢いたい」企画も頑張ろうと思いました。

さて、林さんから「ちょいまち状態を楽しみつつ」との助言を受けながら、われわれ「ちょいまち!!」からの質疑の中で、有益な情報交換がされた。
※参考文献は「NPO教書」(風土社)。

■ お金集めのプロ。仕組みづくり。ファンドづくり。
「お金集め」という本来外の業務を専門に行い、まちづくりをしたい人々を後方支援する人々や仕組みが必要では、との指摘がされた。

アメリカの「アンブレラ・プロジェクト」では、エイズ患者の子どもがペイントした傘を、普通のお店で販売し、利益をエイズ撲滅の運動に流れるようになっている。市場経済の中にこうした市民公益活動の資金獲得の仕組みが入り込んでいる点が重要。

■支援する人、投資家集め。
金利が低い状況を逆手にとって、「利率は低いけれども、人が育ちます」という「人の成長、人材育成自体を利益とみる」ような投資の枠組みが提起された。

逆に、週まち読者を一つの手がかりにしながら、投資家を集める。こうした事例を積み重ねていく中で、企業からの投資も巻き込んでいく。

■アメリカの住宅政策
アメリカでは、1960年代から公共の住宅供給の方法が変わり始めた。1973年から政府の公共住宅に対する補助金を減らした。民間の努力で公共住宅を資金的に成立させる。民間で公益事業を行うためのお金を集める仕組みには、「寄付金の税控除」が必要。

■地域にお金を止める。
「寄付金の税控除」によって、お金が早く回るようになる。お金が循環することが、即ち経済の活性化となる。その担い手が地域にいることで、地域でお金が循環する。
地域の中で、NPOへの投資が行われる。日本の公共事業が、東京本社の大手ゼネコンにお金が吸収され、若干の実労働分しか地方に落ちていかない構図と異なる。

こうしたお金の回し方に関しては、林さんお得意の「新しい公共」という概念が潜んでいる。NPOが「第二の公共」と呼ばれるように、公共機関が担っている事業を民間で行うことでお金の流れが効率化する以上に、早くめぐること
がポイントなのである。(つづく)

後編(週刊まちづくり114号掲載)

さらに、この新しい仕組みを受け入れるための「生活観」の提起もされた。
即ち、「生活を全て奪われながら、安定した数十万の給料」ではなくて、「数万円の生活実費と自由な生活」というもの。
この世界観が、果たしてどういうことなのか、本当にそれは幸せなのか、本当に事業でありうるのか。こんな疑問に対して、状況を開拓するための指針が提起された。

■「まち育て(Urban Husbandry)」の可視化。
「まち育て」といったとき、「エピソード」はたくさんあげられる、という状況がある。これを実体化、理論化、可視化することが重要。それは「まち育て」を、エピソードの集合、という状態から進化させること。

そういう意味では、とりあえず杉崎さんが、地域の「まち育て」の現場を発見し、伝えて歩く「まち育て伝道師」になるのはどうか、とのアイディアも。

■半分労力、半分お金。
海外でいうとところの「サバティカルイヤー」のような考え方。

昨年は頑張って稼いだら、今年はゆっくりした働き方をする生活のあり方。

■プラットホーム・オフィスの実験。起業を前提にした雇用
ハイリスク・ハイリターンを選択できる働き方。これは、KGKで実験されていることだそうで、もちろんセイフティネットは張るけれども、個人の判断で就労体系が選択できる。

一方で、KGKでは「徹夜が出来るうち(およそ40歳)に独立する」というのが方針らしい。独立して間もなくは、徹夜をすることもありうるということで。

■ 国土交通省へ職能に関する提言をする。
第一に、PAY(賃金)の規格化。
第二に、職能の開拓。アメリカで言うDevelopment Directorのようなポジ
ション。
第三に、投資の文化づくり。つまり、「自分なりに投資する」という文化を育
てること。投資の先が、株式だけに集約されないのが重要。

今までは、「お金がリターンとして返ってくる」というのが、株式への投資だったとすると「人間が育ってくれることが、リターンである」というのが、林さんのお言葉。

それは、まちづくりの人材に投資する奨学金みたいなものかもしれない。

これからは、本格的な参加型プロジェクトが始まっていく。ワークショップの専門家が自分でワークショップをやりくりするのではなく、多様な専門家を招集しながら、ダイナミックなまちづくりが展開する。

こうした次世代のまちづくりを成立させるための職能を確立するための一連のプロセスを、林さんは「公共事業のソフト化」と呼ぶ。

林さんから、情報提供と、政府への提言活動に関する積極的関与を申し出ていただいて、「ちょいまち!!」な我々は、更なる精進を続けるのです。

---おわり


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